阪神大震災から27年
いつもご覧いただきありがとうございます。地元の材料を使って快適で省エネな家づくりをしている那須塩原の工務店、斎藤建設の斎藤です。
今日で6,434人の方の命が奪われた阪神淡路大震から27年となりました。
これまでにも大きな震災があるたびに、耐震に関しての基準の見直しが行われてきました。
耐震に関して大きく見直されたのは1978年の宮城県沖地震後となります。
1981年(昭和56年)に施行された「新耐震設計基準」(新耐震)です。現在では1981年以前の基準を「旧耐震」、それ以降を「新耐震」と呼んでいます。
耐震診断や耐震改修の補助制度において、「昭和56年5月31日以前に建てられた木造住宅」が対象となっているのはここからきています。
それまでの「旧耐震」では、震度5程度の地震に耐えられることがおおまかな基準とされています。
それに対して「新耐震」では、震度6程度の地震に耐えられることが基準とされています。
比較的よく起きる中程度の地震では軽度なひび割れ程度、まれに起きる震度6程度の地震では崩壊・倒壊しない耐震性が求められています。
この新耐震基準で建てられた建物は、1995年の阪神・淡路大震災でも大きな被害が比較的少なかったとされています。
耐震性能は建物内にいる人の命を守ることに主眼がおかれていますが、それでも阪神大震災においては地震による直接死は約 5500 人とされています。
そのうち 4400 人(5500 人の8割)が倒壊家屋による窒息死・圧死という調査結果が出ています。亡くなった方は、かなりの時間苦痛と感じながら亡くなっていったのです。その時の絶望感と苦しみは相当なものであったと思うといたたまれない気持ちになります。
我々建築に携わる人間は決してこのことを忘れてはならないと思います
構造塾の佐藤先生。佐藤先生の勉強会の中でも「知っていますか?大地震で命を落とすのは大半が人間・・・どうして人間が命を落とすのか、それは、人間が作った建物が倒壊するからです・・・」やはり心にずしんと来るものがあり、ずっと大切にしている言葉です。
今日の阪神大震災のニュースで、震災でご家族を亡くされた方や行方不明になった方が、「私たちは決して忘れないし忘れることはできない」とインタビューにお応えになっている方がいらっしゃいました。
「喉元過ぎれば・・・」という言葉がありますが、建築に携わる人間としてこのような出来事はやっぱり忘れてはいけないことだと思います。
阪神大震災の後にも1995年には耐震改促進法、2000年にも建築基準法の法改正が行われています。
法や基準が改正されることも大切ですが、謙虚な気持ちを忘れずに、自分自身の知識や技術を常にアップデートし続けること、そしてそれを家づくりに役立てるという事がとても大切な事だとあらためて感じています。
後は4号特例が廃止されることを切に願っています。
このブログを書いた人
斎藤賢一
家族…………..妻、娘(小学生)、息子(小学生)、猫、金魚、サワガニ、熱帯魚、エビ
楽しいもの…キャンプ道具(ランタン、バーナー・ストーブ、クッカー、グリル)、キャンプ道具で調理すること
………………….自転車(クロスバイク)、子供とディズニーリゾートに行くこと、ヴァイオリン(一応演奏します)
特技……………初めて会った猫に「シャー」と言われない。お子さんと仲良くなれる。
仕事……………斎藤建設の社長・家づくり
資格……………環境省うちエコ診断士・暮らし省エネマイスター・エネルギーエージェント・気密測定技能士・木構造マイスター準1級・2級建築士・福祉住環境コーディネーター2級・第1種情報処理技術者
メディア…….NHKおはよう日本 、栃木よみうり
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